大阪高等裁判所 昭和23年(ツ)12号 判決 1949年2月18日
上告人 控訴人・被告 山下勇次郎
訴訟代理人 大森常太郎
被上告人 被控訴人・原告 藤村正七
訴訟代理人 志波清太郎
主文
原判決を破毀し、本件を和歌山地方裁判所に差し戻す。
理由
上告人の上告理由は末尾添付の上告理由書記載のとおりであつて当裁判所のこれに対する判断は次のとおりである。
第一点及び第二点について
原審は「本件家屋はさきに被上告人の父が末子である被上告人が妻帶独立して世帯を持たせる用意のために買い與えたものでこの事実は借家人である上告人においてもよく知つていた。被上告人は長い應召の後昭和二十年八月下旬復員したので被上告人夫婦と子供一人が本件家屋に住むため同年九月中上告人に対し解約の申入をしたものである。被上告人は右家屋で食糧品加工業を始めることを予定しており叔母が戦災にあつて他人の八疊一間を借り受け家族八人が不自由な生活をしておるのでこれを引き取り同居させることを予定しておるから不当に廣い家を要求しているものとはいえない。」という事実を認定し、借家法第一條ノ二にいわゆる賃貸人自ら使用することを必要とする場合にあたるものと認め、本件解約の申入はその効力を生じたものと判断しているのである。
しかしながら賃貸人が自ら使用する必要があるというだけでは当然に解約の事由となるものでなく、自ら使用する必要があつても正当の事由がなければ解約の申入ができないことは、借家法第一條ノ二の立法趣旨によつて明らかである。そして正当の事由があるかどうかを判断するには、賃貸人及び賃借人の双方に存するあらゆる事情利害得失を具体的に比較考察し更に一般の社会状態、殊に極度の住宅不足がなお緩和されていない今日の情勢の下において解約の申入が効力を生じた場合に賃借人側の置かれる著しい困難な状況も充分考慮しなければならない。ところが原判決は賃貸人が自ら使用する必要があることを認定しただけで解約の申入が効力を生じたものと判断し、賃借人側の事情殊に解約の申入が効力を生じた場合に賃借人等の当面しなければならない困難な立場について、充分考慮を拂つた形跡はない。もつとも原判決の後段において本件家屋には上告人の家族の外に実弟山下健次、妹婿中西正男の家族三人及び他人の岡本秀次親子二人岡崎ますゑの多人数が同居しておる事実を認定しているのであるけれども、更に進んで第一審証人中西正男の証言によつて、上告人は被上告人から解約の申入を受けた後においてこれらの人々を同居させたものであることを推認している。しかし同証言によつてこれらの人々が解約の申入後同居した事実を推認することはできないことは所論のとおりである。又山下健次が上告人の実弟、中西正男が上告人の妹婿であることは原審の認定したところであつて、住宅難の著しい今日上告人とこのような親族関係にある者が上告人と同居していることを以て直ちに上告人が賃借契約に基いて有する使用収益の範囲を超えたものとすることはできず、これについて特に被上告人の承諾を要するものともいえない。そうすると解約の申入が効力を生じた場合、上告人の一家ばかりでなく、少くとも山下健次、中西正男の家族三人が当面する困難な状況についても考慮を拂わなければならないのに、原判決はこの点を考慮しなかつた。
そうすると原判決は証拠によらないで事実を確定したばかりでなく、審理を盡さず、法律の解釈を誤つた違法があるもので、論旨はいずれも理由があり、原判決は全部破毀を免れない。そして本件については借家法第一條ノ二にいわゆる正当の事由があるかどうかについてはなお審理を要するから、これを原審に差し戻さなければならない。そこで民事訴訟法第四〇七條第一項により主文のとおり判決する。
(裁判長判事 石神武蔵 判事 大島京一郎 判事 熊野啓五郎)
上告理由書
第一点原判決は法令に違背せる判決であるから破毀差戻あるべきものと信ずる。
原判決は其理由中で「被控訴人(被上告人)が右家屋を使用する必要に迫られているや否やにつき審案するに前示証人藤村栄蔵の証言及び被控訴本人の供述を綜合するときは……被控訴本人は長らく應召し漸く昭和二十年八月下旬復員したが既に婚姻もしていたので早く新家庭を持つて営業を始めたいので前述の如く解約の申入を爲したものであることを認めることができる。右の如き場合は借家法に所謂自ら之を使用する必要ある場合に該当するものと認めることが相当である」と判示している。
けれども賃貸借解約につき借家法第一條の二「自ら使用することを必要とする場合其他正当事由ある場合」の正当事由又は「自ら使用必要事由」があるかどうかを決定するには賃貸人及び賃借人双方の利害得失を比較考察しなければならないのは勿論であり尚且つ一般の社会状勢等各般の事情を斟酌しなければならない。而して解約による賃貸人の享ける便宜利益と比較考量して賃借人の蒙むる損害及び苦痛が著しく甚大であるときは解約につき正当の事由がないものと解さねばならぬ。元来右借家法第一條の二の立法趣旨は賃貸人の解約申入を制限することにより賃借人を保護し賃借権の安定を期することにあるのであるから同法の精神を推究すれば一方に於ては賃貸人自身や其家族又は親族の使用の必要は眞に必要欠くべからざるものなりや否や(例えば賃貸人自身が罹災により住家燒失した如き場合)を十二分に究明すると同時に他方に於ては賃貸人又は共家族の僅かなる居住上や交通上の便宜によつて賃借人の永年に亘つて築上げた営業上及生活上の根底を一挙に犠牲に供するようなことがあつてはならない。解約申入権のみならず総ての私権は公共の福祉に遵ふべきこと改正民法第一條之を明言している通り解約申入権の行使も公共の福祉に遵つて行使せられねばならぬとすれば現時の一般社会状勢とみ合せて共正当な行使であるかどうか決定されねばならない。
今本件について原判決の確定した事実及既出の証拠により之を検討すれば賃貸人たる被上告人は其実父母の比較的余裕のある家屋に同居し既に婚姻して妻と共に昭和十九年以来新婚生活をしているのであり住宅として住むに不自由なき被上告人が新家庭を持つについて賃借人たる上告人等の居住する本件家屋を是非共必要とする理由は被上告人の氣儘又は贅沢氣分は別として極めて薄弱であると言わざるを得ない。之に反して他方賃借人たる上告人に於ては借家拂底時代に到底新家屋を見出し得ない苦痛は勿論轉居に伴う煩労と失費損失不便はまだ忍ぶべしとするも上告人の自動車修理業として築上げた営業上の地盤の喪失の外上告人方に於ては何れも今次大戦争の惨禍に最も深刻な打撃を蒙つた戦災者(住宅燒失)と復員者とが三家族も二階に同居して辛うじて生活を営んでいること等を併せ考察するときは被上告人等夫婦一組の便宜の爲めに上告人の家族及中西、岡崎岡本の四家族二十数名が路頭に迷う憂目に会わねばならぬ実情である。原判決が此等の諸事情を斟酌することを怠つて軽々しく賃貸人たる被上告人の立場だけから判断して自ら使用する正当事由と認めたのは公共福祉に反する権利行使を是認したるか又は借家法第一條の二の解釈を誤つて不当に法令を適用した違法の判決であると言わねばならぬ。
第二点原判決の理由には齟齬があるから破毀せらるべきものと信ずる。
原判決は其理由中に於て「尤も本件家屋には控訴人の家族の外に実弟山下健次、妹婿中西正男の家族三人及他人の岡本秀次親子二人、岡崎ますゑの多人数が同居していることは原審証人山下善良、中西正男の各証言に依り之を認めることが出来るが……被控訴人から解約の申入をされた以後に於て何れも同居せしめたものであることは前示中西正男の証言により推知することが出来る訳で現在多人数が同居していることは右の樣な事情を考慮すれば本件に於て斟酌に値しない」と判示しているけれども右多人数の家族を同居せしめたのは被控訴人から解約の申入を受けた以後に於て行われたものであるとの前提は全然明白なる誤りであると共に証人中西正男の証言によつて解約申入後に多人数を同居せしめたとの事実を推認することは絶対に出来ない。
原判決は此点に於て巧妙な誤魔化しが伏在していることを指摘致したい。
原判決は被控訴人(被上告人)が昭和二十年九月中控訴人(上告人)に対して口頭を以て解約の申入をしたと認めている。
従つて其後六カ月経過した昭和二十一年三月末日限り解除効果が発生したと認定している。(原判決の理由)然るに証人中西正男の証人調書を精査すると「私が同二階を借りたのは復員直後であり昭和二十年九月頃である」とある。即ち中西は本件家屋の解約申入のありたる九月中以前に於て本件二階に同居していたものであり同証人の訊問調書の如何なる部分に徴するも同居者が解約申入後同居するに至つたと言う事は之を推知するに苦しまざるを得ない。原判決の判断は証拠として認むる能わざる所に依つて爲されたる独断であり此独断に基いて現在多人数同居の事実は本件に於て斟酌に値しないと判断したものであるから其理由は不備であるか又は齟齬するものと言わざるを得ない。
証人中西正男の証言中「始め私一人であつたが其後被告妹と親しくなり結婚した」とあるは証人中西が妻及子供一人の現在三人であるけれども過去の経過を言うならば始め本件家屋の二階に同居した当時は自分一人であつたが現在家族共三人である」と説明しているのであること文脈上明白である。其他の同居者が何れも中西に後れて同居するに至つたと言う意味ではない。実際上から言うも上告人の弟山下健次は十数年前より同居して居る外其の他の岡本、岡崎等は何れも昭和二十年七月九日和歌山市空襲にて住宅を燒失して上告人方二階に同居しているのであり其最終に復員者中西が九月同居する事となつたのである。右の理由によつても明白なように多人数の同居者は解約の申入のあつた以後同居したものでないから原判決は此点明かな誤信又は誤判を犯していることはこれは到底何人も認めぬ訳には行かぬであろう。